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2020年大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公は明智光秀ですが、意外にも明智光秀を単独で主人公にするのは初めてです。
裏切り者や謀反人のイメージの明智光秀ですが、実は優秀な政治家、戦略家でもあり、織田家で一番初めに城持ち大名になった人物でもあります。
今回は、明智光秀の妻:煕子とのエピソード、濃姫との関係、明智光秀の城跡、本能寺の変の謎について書いてみました。
明智光秀プロフィール
引用元:東洋経済オンライン
名前:明智光秀(あけちみつひで)
通称:十兵衛(じゅうべえ)、惟任日向守(これとうひゅうがのかみ)
生年月日:1528年(資料が残っていないため、定かではありません)
没年月日:1582年7月2日(天正10年6月13日)
没年齢:55歳(諸説あります)
出身地:美濃(現:岐阜県)、※近江(現:滋賀県という説が最近出てきました)
氏族:美濃源氏土岐氏支流
父親:明智光綱
母親:お牧の方
養父:明智光安
妻(正室):妻木煕子(つまきひろこ)
子:明智光慶、玉(細川ガラシャ)など
主君:斎藤道三→朝倉義景→足利義昭→織田信長
煕子とは?
#麒麟がくる で忙しくなるなぁァァ!!
ひろこおおおお!!!!
#木村文乃 pic.twitter.com/epHH2ftLm9— 木村文乃ファン (@fuminonist) 2019年12月15日
煕子が生まれたのは1530年(享禄3年)説と1534年(天文3年)説があります。
1534年生まれだと明智光秀の後の主君である織田信長と同い年になりますが、これも謎が多くはっきりとは分かっていません。
煕子の実家は妻木氏と言われており、美濃の豪族でした。
妻木氏も明智氏と同じく、美濃源氏土岐氏の流れを組む一族であると言われています。
光秀と煕子が結婚した時期は定かではありませんが、戦国時代の慣例だと、10代の内に夫婦になったと考えられています。
1540年~1550年の間でしょうか。
吉田兼見の「兼見卿記」という日記だと、煕子が亡くなったのは、1576年(天正4年)11月7日となっていますが、「明智軍記」によれば、1579年に45歳で生存していることになっています。
光秀は側室を持たず、妻は正室の煕子だけと言われていましたが、側室がいたとも考えられます。
この時代、武将は側室を持つのは子孫を残す為に、当たり前だったので、なんら不思議ではないですが、光秀の「愛妻家」のイメージに横やりが入ってしまいそうな感じがします。
光秀と煕子は、3男4女をもうけたと言われていますが、子供たちの母親についてははっきりしていないところが多いです。
逸話は?
引用元:武将ジャパン(明智家)
煕子は、光秀との結婚前に疱瘡(天然痘)という病気にかかってしまい、顔にあばた(疱瘡の跡)が残ってしまいました。
※当時の疱瘡は死病でした。かつて伊達政宗も疱瘡になり、辛うじて命はとりとめましたが、右目に跡が残ったことがコンプレックスで家臣の片倉小十郎に右目の跡を切らせたことで、片目になったと言われています。
明智との縁談を進めたい妻木氏は「顔にあばたのある娘を嫁に出すのは失礼だ」と考え、煕子の妹を替え玉として光秀の元に送りました。
しかし、光秀はこれを見破り、「容貌などは年月や病気で変わってしまうものだ。不変なのは心の美しさである」と言い、煕子を妻に迎えたと言われています。
また、光秀が主君を持たず浪人していた時期に、煕子が自らの髪を売ってお金を工面していたという「内助の功」ともいえるエピソードが残されています。
これらは、後の創作の可能性もありますが、本当だったらとても良い話ですよね。
濃姫との関係は?
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引用元:ヤフーニュース(麒麟がくる)
濃姫(帰蝶)は、光秀の主君であった斎藤道三の娘で後に、織田信長の正室になりますが、光秀とは従兄弟だったと言われています。
濃姫と言うのは「美濃の国から来た姫」ということで後に言われた通称(おそらく織田家側が付けたと思われます)で、本名は帰蝶(きちょう)や胡蝶(こちょう)だとも言われています。
濃姫は1535年(天文4年)生まれだと言われており、光秀が1528年生まれだとすると、光秀よりも7歳年下ということになります。
斎藤家と織田家の和睦の為の政略結婚で、濃姫が信長に嫁いだのは、1548年(天文17年)とされており、光秀はこのころには煕子と結婚していたと思われます。
ドラマの中では光秀と濃姫が恋仲であったという説を採用しているものもありますが、信長に嫁いだ時の濃姫の年齢は13歳、14歳くらいなので、それよりも前に2人が知り合ったという事になると、濃姫は10歳前後で、20歳に近い光秀と恋仲だったというのは、考えにくい気がします。
後に、足利義昭の側近であった明智光秀を織田信長に紹介したのが、濃姫だったとも言われていますが、こちらの方が可能性は高そうです。
※その後、信長は義昭を擁立し、上洛に成功。室町幕府第15第将軍に就任させることに成功しています。
濃姫がいつ亡くなったのかは、はっきりしていません。
桶狭間の戦い(1560年)前後や、本能寺の変(1582年)で信長と共に亡くなった、江戸時代まで生き延びたなど様々な説があります。
明智光秀ゆかりの城は?
引用元:じゃらん(明智城)
光秀は、美濃(岐阜県)の明智城で生まれたと言われています。
その後、斎藤道三、朝倉義景と主君を変え、朝倉家に保護されていた足利義昭と出会い、義昭の側近となりました。
京都に上洛して足利将軍家を復興したい義昭ですが、朝倉義景は腰が重く、自身を擁立してくれる大名を探していました。
全国の大名に書状も送っています。
そこに食いついてきたのが、当時新興勢力であった織田信長で、義昭と信長の間を取り持ったのが光秀だとドラマなどでも描かれていますよね。
後に、信長は光秀の才覚を気に入り、自身の家臣として召し抱え、光秀は織田家の中でメキメキと頭角を現していきます。
そして、近江国(滋賀県)の一部を与えられ、琵琶湖の西に坂本城を築城しています。
引用元:LINEトラベル(坂本城跡)
その後、丹波(京都府、大阪府、兵庫県の一部)の攻略を信長から命じられた光秀は、亀山城(京都府亀岡市)を拠点にし、後に福知山城(京都府福知山市)なども築城しています。
その他、丹波には明智光秀ゆかりの城跡が多く存在しています。
また、自身が納めていた領地では善政をしいていた為、領民からの評判もよく、毎年、亀岡市などでは武者行列が街を練り歩き、明智光秀を偲んだ祭りが行われています。
引用元:亀岡市観光協会(ぶらり亀岡)
裏切り者のイメージが強かった光秀ですが、近年の研究でイメージがかなり変わってきているように思えます。
織田信長との関係は?
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明智光秀は、主君である織田信長を京都:本能寺で討ったこと(本能寺の変)で知られています。
本能寺の変には黒幕がいたりだとか、光秀が信長からの仕打ちを怨んでいたなどと言われていますが、これには学者の間でも意見が分かれています。
家臣にあだ名をつけるのが好きが信長が、光秀を「きんかん頭(おでこが金柑のように禿げあがっていたから)」と呼んでいたことも耐えられなかったのかもしれませんが。
他にも、羽柴(豊臣)秀吉は「サル、ハゲネズミ(サルに顔が似ていたから)」、柴田勝家は「ゴン(権六を略した)」、前田利家は「犬(幼名が犬千代だったから)」と、あだ名のレパートリーは多かったみたいです。
当初、光秀と信長の関係は良好で、光秀が丹波を平定した際(1579年)に信長は光秀のことを「光秀の働きは天下に比類なし」とベタぼめしています。
つまり、「お前の働きはうちの家臣の中でも群を抜いている。ナンバー1だ」と言っているんです。
ところが、1582年に信長が宿敵:武田氏を滅ぼした際に、祝いの席で「我々も骨を折ったかいがござった」と光秀が発言すると、信長が「お前がいつどこで骨を折ったというのだ」と激怒し、他の重臣がいる前で折檻を加えるなど関係に変化が見られています。
その後、信長が徳川家康を自身の居城:安土城に招待した際に、そのホスト役を光秀に任せた際には、「料理がマズい」と激怒し、足蹴りにするシーンなどもドラマでは取り上げられていますよね。
直後に光秀はホスト役を解かれ、「中国地方で毛利氏と戦う羽柴(豊臣)秀吉の応援に行くように。領地の丹波と近江の一部は没収する。代わりに毛利氏の領土の出雲・石見(共に現:島根県)を与える」という信長からの命令が伝えられ、光秀は愕然とします。
現在の領地は没収され、与えるという領地は未だ敵国のもので、つまり自分で戦って奪い取れということです。
そして光秀は、軍を中国地方ではなく、信長のいる本能寺に進め、信長を自害に追い込みました。
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しかし、その後、電撃的な速さで戻ってきた秀吉に敗れ(山崎の戦い)に、落ち武者狩りに合い、亡くなっています。
信長と光秀のエピソードは後の創作だとも言われていますが、本能寺の変は日本史最大のミステリーだと言われ、未だに歴史ファンの議論の的にもなっています。
2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」では、初めて明智光秀を主人公として描いているので、どのような描き方をされるのか、楽しみなところであります。
※以前「国盗り物語」というドラマでは、斎藤道三から織田信長、明智光秀が意思を引継ぐという描き方だったので、光秀を単独主人公にするのは初です。
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以上、ここまでお付き合いありがとうございました。
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