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埼玉県の県庁所在地は「さいたま市」ですが、何でひらがななの?と思う方もいるかもしれません。

これには、歴史的な深い理由がありました。

その辺りについて、まとめてみました。

「さいたま市」は合併で誕生

引用元:WIKIより

さいたま市は2001年5月1日に、旧県庁所在地だった浦和市と、大宮市、与野市の3つの自治体が合併してできた都市です。

2005年には、岩槻市も吸収して広大な面積を誇る都市となりました。

なんで都市名が漢字の「埼玉」じゃなくて、ひらがなの「さいたま」なの?と思う方(特に埼玉県外の方)も多々いるのではないかと思いますので、掘り下げていきたいと思います。

元々は「埼玉市」になる予定だった?

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引用元:Wikipedia

新都市名ですが、市民からの公募で決める予定でした。

新都市名を公募したところ、「埼玉市」が圧倒的トップで、2位が「さいたま市」でした。

この結果を受け、「埼玉市」で決定する予定でしたが、なぜか行田市から待ったがかかりました。

行田市と言えば、「のぼうの城」で有名な忍城や、ドラマ「陸王」の舞台にもなった都市ですが、なぜ異議を申し立てたのでしょうか?

埼玉発祥の地は行田だった


一見関係なさそうですが、実は行田市は県名の「埼玉(さいたま)」のルーツ「埼玉(さきたま)」発祥の地なのです。

行田市には埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)と呼ばれる多くの古墳が残せれています。

歴史の教科書にも出てきた倭王:武(雄略天皇)の墓と言われる稲荷山古墳もその一つです。

古墳群の近くには、古墳の被葬者(埋葬された身分の高い人)を祭った「前玉神社(さきたまじんじゃ)」があります。

この「前玉 (さきたま)」が現在の埼玉県のルーツと言われています。

時代が進むにつれて、「さきたま」が「さいたま」と呼び方が変わり、江戸時代には行田市一帯は、埼玉軍埼玉村(さいたまぐん さきたまむら)と呼ばれていました。

県庁所在地が浦和という矛盾

1871年の廃藩置県を経て、県名は埼玉県(さいたまけん)となりましたが、県庁所在地はルーツであたる行田市ではなく、縁もゆかりもない浦和市に置かれるという矛盾が生じてしまいました。

ただ、発祥の地と県庁所在地が違うという矛盾に、異議を申し立てる人はほとんどいませんでした。

しかし、合併を理由に浦和、大宮の周辺地域だけが「埼玉市(さいたまし)」を名乗るのは、ルーツを持つ行田市としては納得がいかなかったという訳です。

この顛末を経て、新都市名は公募1位の「埼玉市」をボツにして、2位の「さいたま市」が繰り上げ当選となったという訳です。

以上、ここまでお付き合いありがとうございました。

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