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こんにちは、Kiroです。

徹子の部屋に女優の高田敏江さんが登場です。

2019年8月14日出演では渡辺美佐子、高田敏江さん、柳川恵子さん 三女優での出演でした。

高田さんと言えば、

昨年のNHK朝の連続ドラマ「まれ」で、

「マ・シェリ・シュ・シュ」の常連客として出演されていて

ご存じの方が多いのではないでしょうか。

そんな高田さんは御年84歳なんですって!

お元気に女優をされている高田さんについて調べてみました。

プロフィール

 

出典:http://anima-agency.jp/talent/127

お名前は高田敏江(たかだとしえ)さん

生年月日は1935年3月3日(2019年で84歳)です。

おひなさまの日に誕生したのですね!

 

身長は156センチ、体重は49㎏だそうです。

女性なのに体重を公開してすみません!

小柄でかわいらしい方のようですね。

 

血液型はAB型で、魚座になりますね。

 

群馬県前橋市出身で、

高校は群馬県立前橋女子高等学校

公立の女子校で「前女」と呼ばれている学校のようです。

偏差値は68で県内公立3位の学校となっています。

 

大学は日本社会事業大学ですが、中退されているようです。

1954年の19歳で東映ニューフェイスの第1期生となり、

高原紀子と言う名前でデビューされました。

デビュー作は映画『二挺拳銃の竜』ということですので、

芸能活動のために中退されたのかもしれませんね。

 

たくさんの作品に出演されていますね。

代表作としては、

私は貝になりたい(1958年版)

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1958年の「私は貝になりたい」での主人公の嫁の妹役

1979年には「3年B組金八先生」で
同級生の女生徒を妊娠させてしまった男子生徒(鶴見辰吾さん)の母役

TBSの昼ドラマ「ピュア・ラブ」での祖母役

といったところが有名ではないでしょうか。

 

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わたし的には、同性愛をテーマにしたドラマ「同窓会」で

主人公(斉藤由貴さん)の母親役をされていたことに衝撃を受けました。

内容の過激さに惹きつけられたドラマでしたが、
それに出演されていたとは知りませんでした。

主題歌だったMr.Childrenの「CROSS ROAD」が懐かしい。。

 

夫は心理学者で息子はクリスチャン?

さて、高田さんの旦那さんは

心理学者で早稲田大学教授を務めていた相葉均(ひとし)さんだそうです。

旦那さんは、現在亡くなられている(急性心不全)のですが、

お二人は誰もがうらやむおしどり夫婦だったそうですよ。

 

旦那さんはカトリック信者だったそうで、

高田さんは一緒に教会へ行ったり、

海外で行われる学会へも同行していたそうです。

 

おしどり夫婦だったのに、

突然の旦那さんとの別れには、

正直相当な悲しみとショックをうけられたと想像します。

 

高田さんは旦那さんの影響からカトリック信者となって、

そのおかげで、深い悲しみから抜け出せるのが早かったと

話していましたよ。

 

そして、息子さんがいらっしゃるようで、

この方もカトリック信者のようです。

親子で教会へいっていたのでしょうね。

 

あまり情報はなかったのですが、

小学1年生のころスキーを習っていたそうで、

その送迎を高田さんがしていたというエピソードがありました。

 

趣味はスキー!

高田さんは30代になってからスキーを始めたそうです。

息子さんが通うスキー教室の送迎をしているうちに、

それだけじゃつまらないからと、

ご自分もスキーを始めたのだそうです。

 

冬が近づくと駅の階段を駆け上がるなどしてトレーニングをはじめ、

マイゲレンデと呼んでいる奥飛騨まで滑りに行くのだとか。

 

趣味はそのほかに

ちぎり絵で老人ホームのボランティアとして教えに行ったり、

60歳からパソコンを始めたりして

何ともアクティブな高田さん。

 

元気の秘訣は、

これがしたい!っていう

探求心なのかもしれませんね。

 

被爆手記の朗読会を開催

高田敏江さんは群馬県前橋市出身の84歳と書きましたが、

戦争を体験していらっしゃいます。

 

1945年8月5日に空襲を受け、

当時10歳だった高田さんは自宅や住み親しんだ町が

燃えていく様子を目の当たりにしたそうです。

 

そういった経験から、

同じ思いをさせまいと若い世代の人たちに

自分のこととして考えてほしいとの願いをこめて、

原爆で被爆した方の手記を朗読する会を

全国で開催しているのだそうです。

 

朗読劇を公演していた80年代ころは、

被爆者から現実はこんなもんじゃなかったといわれていたそうですが、

長く活動を続けていくにつれて、

高齢により体が弱くなってきた被爆者の方たちから

自分たちの代わりに語り続けてほしいというような

励ましの言葉をもらえるようになったということです。

 

自分がやってきたことが認められてうれしかったと話していた高田さん。

ご自分が倒れるまで走り続けそうですね。

 

誰がために憲法はある

 

最後までおつきあいありがとうございます。

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