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こんにちは。キローコです。
NNNドキュメントで遺影写真家の中西三男さんが登場します。
遺影ってほんと大事。
先日キローコの親戚のおばさんが亡くなったのですが、そのときの遺影、
誰でも分け隔て無く接してくれる明るくて温かい表情でした。
とても素晴らしかったです。
笑顔の遺影写真家という中西さんは知る人ぞ知る有名人だったようです。
【テレビ】7/9(日)日テレ 24時55分
Nドキュ「にっこり笑って-笑顔を残す遺影写真家」
人生最期を飾る「遺影」。高知県大豊町で写真店を営む中西三男は9年前から町の人の、笑顔の遺影を撮影している。その理由とは。地元に寄り添うカメラマンの姿を描く。
高知放送 pic.twitter.com/vXd6KztQQJ— JapanDocs (@jdocs) July 9, 2017
プロフィール
お名前は中西三男(なかにしみつお)さん
生年月日は現在69歳ということですので、
1948年頃と思われます。
出身地は高知県長岡郡大豊町
高校卒業後に大阪の新聞社の写真部に勤めていましたが
ご両親の面倒を見るために33歳のときに帰郷。
出身高校は高知県立伊野商業高校
キローコも商業高校出身ですよ
伊野商業高校は1994年に商業科から
流通ビジネス科・国際観光科・情報デザイン科・ビジネス会計科に改編されたようで、
よりビジネスに特化された高校になったようですね。
中西さんは写真店を営んでいますから、
商業高校で学んだ知識というものを十分に活かされているようですね。
キローコは就職したとき、まったくと言っていいほど活かせてなかったからなぁ(^^;)
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1985年には春の甲子園で初出場ながら優勝するという快挙を成し遂げた高校でもあるんですって。
遺影写真家となったのは9年前からだそうで、
お父様の遺影を選んだときに優しかった面影がなかったことを悔やんだことから
同じ思いをする人がでないようにと活動を始めたのだそうです。
中西さんが住む大豊町は8割が65歳以上の住人なんですって。
笑顔の遺影。
カメラを向けられるとどうしてもかしこまってしまうキローコです。
半目になっちゃったり、メガネが光らないよう気を遣ったり。
笑って~って言われても、なかなか自然な笑顔って難しいですよね。
中西さんは500人を超える笑顔の遺影を撮ってこられたそうです。
その秘訣はなんなのでしょうね。
【名作ドキュメンタリーをもう一度】#高知県 大豊町の中西三男さん。優しかった父にふさわしい遺影を残せなかった後悔から「 #遺影写真家 」として集落をまわって笑顔の遺影を写しています。#高知放送 #NNNドキュメント #日テレtheSOCIAL pic.twitter.com/OeSr2JoRW3
— the SOCIAL / ポジティブニュースお届け中📪 (@thesocial24) June 2, 2020
写真店の場所をチェック!
中西三男さんのお店はどこにあるのでしょうか?
店名は「中西写真スタジオ」
住所は高知県長岡郡大豊町穴内2304です
窓に貼ってある看板を見ると、
写真を蘇らせてくれるみたいですね。
「涙が出るほど感動しました」というフレーズがなんとも頼もしいです。
証明写真や写真の修理、遺影写真家だけでなく
大豊町の写真を町内かけずりまわって集めて
「昭和のおおとよ」という写真集も作成されたそうです。
ものすごく地域に貢献されていますね。
お宝屋敷おおとよの館長さんとして有名人!
そして中西三男さんは遺影写真家というよりは
「お宝屋敷おおとよ」の館長さんとして有名な方なんですって。
中西写真スタジオの両脇に怪しい(?)たたずまいの家がありましたね
なんでも昭和の看板やおもちゃが3000点以上も展示されているんだそうです。
家具やマンガ、人形やアイドル写真集まで取り揃えているみたいですよ。
キローコの昭和の象徴、おニャン子クラブの写真集もあるかな???
すごいですねぇ。
キローコは昭和ものけっこう好きです。
ここ、近所だったらきっと通うと思うw
お宝屋敷での中西さんはなんともお話好きなようで、
話の半分は冗談でできているというほど訪問者を楽しませてくれるんですって。
遺影の撮影でお年寄りの方を笑顔にさせる秘訣は
ここにあったのでしょうね。
中西三男さんの撮影する笑顔は
素直に心から笑っているものなんだろうなぁと
想像ですが感じました。
最後までおつきあいありがとうございます。
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