スポンサーリンク
ダウン症の書道家として目覚ましい活躍をされている金澤翔子さん。
国内だけではなく、海外でも評価が高い金澤さんとは一体どんな方なのか、そして彼女の「魅力」について解説していきます。
プロフィール
金澤 翔子(かなざわ しょうこ )
生年月日:1985年6月12日(2019年で34歳)
東京都目黒区出身
書家 号は小蘭
2019年5月現在33歳の翔子さんは、書道家であった母・泰子さんの影響で5歳から書道を始めました。数々の賞を受賞するなど、小さい時から頭角を現していた翔子さんは、20歳の時に銀座で初の個展「翔子 書の世界」を開きました。この時、NHKでの放送や朝日新聞への掲載など、大きな注目を浴びることになります。
風神雷神図
これをきっかけに、建長寺、東大寺、延暦寺、伊勢神宮など多くの有名な寺社で個展や奉納揮毫を行ってきましたが、中でも2009年に建仁寺に奉納した「風神雷神」が、建仁寺所蔵の国宝「風神雷神図」のとなりに展示され、非常に話題となりました。
引用元:YouTube動画「金澤翔子京都「建仁寺展」風神雷神図屏風と同時展示」
スポンサーリンク
金スマ
この時くらいから、メディアへの露出が増えていくことになります。とくに、TBS「(中居正広の)金曜日のスマ(イル)たちへ」では、何回にもわたり翔子さんを紹介しています。2012年には、福島県いわき市にある「きもの乃館 丸三」に初の常設館を開設することとなります。
引用元:金澤翔子美術館HP
大河ドラマ平清盛の題字
また、同じくこの年のNHK大河ドラマ「平清盛」では、ドラマの題字を担当しました。そして、2013年になると、なんと銀座に自身の「美術館」を開館するに至ります。個展に関しては、国内だけにとどまらず、ニューヨークやチェコ、シンガポールやドバイなどでも開催してきました。まだ30代前半と若いにもかかわらず、とてつもなくすごい経歴の持ち主であることがわかりますね。
彼女の書は、枠にはまらない「多様で自在な表現」で成り立っており、それが「生きたアート」として触れた人の心に響く、と評価されているようです。ただの漢字の楷書ではなく、その中には「息づく命の躍動感」とも言える、力強くかつ弾力のある筆の線がある、と。
母・泰子さん
引用元:金澤翔子HP作品集
そんな彼女の書に影響を与えているのは、 母であり書の師匠でもある泰子さんです。泰子さんは、彼女を語る上で欠かせない存在となっています。テレビ出演では必ず泰子さんが一緒にいらっしゃるので、見たことのある方もいるかもしれませんね。テレビだけではなく、講演会や個展、揮毫などの際は必ず泰子さんが同席しています。
42歳という高齢出産で産まれた翔子さんがダウン症と診断され、かなり戸惑ったそうですが、泰子さんは母として師匠としてずっとそばにいたわけですね。父の裕さんは、翔子さんが14歳の時に心筋梗塞で他界されているそうなので、母子二人三脚で書道に邁進してきたことになりますね。
実際、泰子さんはかなりスパルタ教育だったといわれており、テレビ朝日「徹子の部屋」に二人で出演した時の泰子さんの発言などがかなりネガティブに捉えられてもいるみたいです。しかし、周りにどう映ろうとも、二人の間でしかわからないことはあるのではないでしょうか。
「翔子はただみんなに喜んでほしいという純粋な思いで書くんです」という泰子さんの言葉からは、母であり師匠である泰子さんは、翔子さんの良き理解者であるということが伝わってくるようです。
その言葉に呼応するかのように、「みんなにパワーをあげたい」という彼女は、その一心で真摯に書に向き合っているんでしょうね。モーニング娘。を歌うことが好きで、小池徹平のファンという至って普通な女性の翔子さん。キュートな笑顔を浮か、無邪気に話す一方で、書に向かう時の真剣な貌。等身大の彼女の秘めたる才能に、今までもそしてこれからも多くの人たちがトリコになるでしょう。
国連でダウン症の天才書家としてスピーチ
そして、ダウン症として診断されて以来、ご本人はそのハンディを克服するために計り知れない苦悩を乗り越えてきました。いまだダウン症に関しては、理解が深まっているとは言えません。正しい知識が周知されておらず、それゆえにいろいろな誤解、いわれもない差別などがあるのが現状だと思います。
そんな中、翔子さんは2015年に国連でダウン症の天才書家としてスピーチをしました。彼女の存在が広まるにつれて、ダウン症という病気の正しい知識も広まることを心から祈ります。
スポンサーリンク