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こんにちは。キローコです。
クロスロードにバルミューダ株式会社の代表取締役社長である
寺尾玄さんが登場します。
バルミューダ製品はデザインがかっこいいですよね。
キローコの旦那が好きなんですよ。
でもちょっと高級品だから手が出せないの。。。
日本のスティーブジョブズとも言われている寺尾玄さんについて調べてみました。
バルミューダの新サーキュレーターC2発表会
寺尾玄社長&TKO木本武宏さん1万字対談全文
「一度だけ言わしてください。これ僕が売ったんです!」(木本)https://t.co/9N9WweIiLO— 滝田勝紀akaデジモノステーション編集長で家電スペシャリスト (@samurai1575) July 3, 2019
プロフィール
お名前は寺尾玄(てらおげん)さん
生年月日は1973年44歳
出身地は茨城県龍ケ崎市
血液型はA型です
子供の頃から人に褒められたいという欲求があったそうで、
高校時代はロックスターになりたかったんですって。
ブルース・スプリングスティーンさんが大好きだったとか。
高校時代ってなぜか洋楽にハマる人ってキローコの周りでは多いように感じます。
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キローコはもっぱら工藤静香さんでしたけどね(^^;)
写真を拝見すると確かにカッコイイですね!
それでシンガーソングライターやロックバンドを結成したりして活動していたのですが、
芽が出ず、音楽の道は諦めたのだそうです。
その後はオランダのデザイン誌をみてものづくりをしたいと思うようになって
28歳の頃当時好きだったアップル社の製品を目標にしたのだとか。
突然の路線変更にものづくりに関しては素人だったため、
50社くらいの工場に電話や飛び込みをして教えを請うたんですって。
断られるのがほとんどだったらしいのですが、
それでも諦めずに続けた結果、
受け入れてくれるところに出会ったと言うことですから、
継続は力なりですね!
断られ続けてもある程度までいくと、
もう麻痺してきて気にならなくなるっていいますから、
寺尾さんの根気強さとものづくりがしたいという熱い思いはホンモノだったんですね。
それから2年後の30歳で有限会社バルミューダデザインを設立
2011年の38歳にはバルミューダ株式会社に社名変更して現在に至ります
今はトースターで有名な感じですけれど、
キローコの旦那は扇風機を注目していました
自然界の風を再現しているんだとか。
日本製というのがいい!って旦那はいってましたけど。
確かにシンプルデザインでかっこいいですよね!
これでお値段36,000円!
どうですか?!奥さん!!
嫁や子供について!
寺尾玄さんはご結婚されていました。
時期については不明なのですが、
インタビューでものづくりを目指すきっかけとなった
デザイン誌を見たのが、当時つきあい始めだった彼女の家で
今の奥さんなんだけどーという話をされていたので、
28歳くらいにはすでにお付き合いされていたようですね。
お子さんは二人いらっしゃるようですね。
2011年のブログで
上の子は小学校に入学
下の子は幼稚園に入園
とありましたので、
現在は
上の子が小学校5年生くらい
下の子が小学校2年生くらい
なのではないでしょうか??
気になる年収は?
人気商品が続くバルミューダ株式会社の社長さんの年収は
どのくらいになるのでしょうか?
労政時報「役員報酬・賞与等の最新実態」のアンケートによると
従業員が300人未満の会社の社長さんの平均年収は3109万円なんだそうです。
バルミューダ株式会社の従業員数は50人ということですから、
ざっくりと3000万円は確実な感じですね。
注目の企業ですし、
これからどんどん人気商品をだし続ければ、
もっと上がっていくでしょうね!
両親が自由すぎる!
寺尾玄さんのご両親はちょっと不思議な方のようですね。
お父様は洋蘭を栽培する農園を経営されていたそうです。
3年サイクルの栽培は天候に左右され、収入の浮き沈みが激しいそうで、
夫婦ゲンカが絶えなかったそうです。
洋蘭栽培を辞めたころ、
一時は日雇いアルバイトで生計を立てていましたが、
陶芸教室のポスターをみて
陶芸家を目指すようになり、
1ヶ月で先生よりうまくなったんですって。
今では陶芸家で食べて行けてるのだそうです。
最初のインスピレーションを信じて動く方のようですね。
失敗も多かったと思いますが、
1ヶ月で陶芸技術を習得してしまうセンスの良さは
まさに芸術肌だったんでしょう。
デザインの美しさを追求する寺尾玄さんの遺伝子に
確かに残っていますね(^^)
お母様はフラワーデザイナーだったそうです。
寺尾玄さんには3つ下の弟さんがいらしたそうで、
息子二人に人と違うことをしなくてはダメと教育されていたんだそうです。
暮らしは豊かでは無かったそうですが、
毎年海外旅行に連れて行ってくれたんですって。
お母様が仕事でアメリカに行ったときは
大学に聴講したいと半年も戻ってこなかったことがあったそうです。
そしてその帰りにハワイに寄ったそうで、
泳げないのにシュノーケリングを体験されたんだそうです。
やはりハワイになにか感じるものがあったのでしょうね。
こう思ったらすぐ実行するというところはお父様と同じように感じました。
このお二人のDNAを受け継いだ寺尾玄さんの今後の活躍が
楽しみですね!
最後までおつきあいありがとうございます。
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