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こんにちは。

残間里江子さんって初めて知ったのですが、

未婚の母だということで、恥ずかしながら色眼鏡で見て

興味をもってしまったので、どんな方なのか調べてみました。

プロフィール

お名前は残間里江子(ざんまりえこ)さん

わたしはあまり聞いたことがない珍しいお名前ですね。

残波という泡盛のある沖縄出身かしらと思いましたが、

東北の宮城県仙台市の出身でした。

生年月日は1950年3月21日 年齢68歳(2018年時点)

血液型はO型で牡羊座となっています

出版や映像、イベントのプロデューサーをお仕事にしているようですね。

1970年に静岡放送のアナウンサーをされていたようですが3年で転職

 

1973年は光文社の女性自身の編集部記者となります

 

1980年に企画制作会社「キャンディッド」を設立して、代表取締役社長となると

山口百恵さんの自叙伝「蒼い時」をプロデュースして有名になったんですって。

百恵さんが引退直前に発売されたもので200万部を超えるベストセラーになったとか。

人気絶頂のときでしたし、旦那さんの三浦友和さんとの恋愛についても書かれているとあって、

すごく話題になったみたいですね。

その話題だけみてもわたしは読みたいと思いますもの。

 

厚生労働省 「2007年ユニバーサル技能五輪国際大会」の総合プロデューサー

内閣官房「都市再生戦略チーム」

国土交通省「地域づくり表彰審査会」

内閣府「男女共同参画推進連携会議」など

公共的な委員会にも選ばれているみたいですね。

 

現在は株式会社キャンディッド・コミュニケーションズの会長と

キャンディッド・プロデュースの社長を務めていて、

プロデュースを主にされているのだそうです。

 

2009年から、日本に新しい大人をつくる会員制ネットワーク「クラブ・ウィルビー」を設立していて

年齢や性別を問わず、自分の培ってきた経験を活かし、

社会とつながることによって人生を充実させようという取り組みを行っているようですよ。

年会費や入会金は無料なんですって。

 

学歴は?

残間さんは中学、高校と仙台市ではなく静岡県の富士市に住んでいたようです。

高校は女子高だったようなのですが、

現在静岡県富士市に女子高はないらしく、

どこの高校かはわかりませんでした。

 

出身大学は明治大学短期大学法律科となっています。

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4年制の大学へ行きたかったそうですが、

経済的に断念したと。

また高校時代に一生働ける仕事を持とうと決意されたそうで、

東北なまりを直そうとアナウンス教室に通っていたそうです。

 

そのかいあってか卒業後アナウンサーとして就職できたのですから

がんばりましたね!

今でもラジオのパーソナリティーを務めていますから、

本当に長く働ける職を手にしたという感じですね。

 

結婚や息子について

残間さんは68歳。(2018年時点)ご結婚なさっているかが気になります。

26歳のときにご結婚なさっていました。

旦那さんは大学時代の部活仲間だったそうです。

アナウンサー時代か雑誌記者時代に入り仕事が忙しくなると

仕事をすることに理解を示していた旦那さんも浮気するようになったのだそうです。

 

やっぱり一緒にいる時間が少ないと寂しくなりますよね。。

それでも旦那さんに別れる意思はなかったそうで、

離婚調停も長引き残間さんが全財産を慰謝料として払うことで決着したとか。

 

その別居期間中にお付き合いしていた男性と子供を授かったそうです。

モテモテですね!残間さん!

その男性とは結婚するつもりはなかったそうで、

シングルマザーとして過ごす決意をしていたそうです。

初婚のことがトラウマになっていたのでしょうか。。

 

お子さんは男の子でお名前は直巳(なおみ)さんとおっしゃるそうです

現在30歳くらいになっているそうです。

徹子の部屋でお写真が出ました。

 

 

既に独立していて同じメディアの世界で働いているそうですよ。

お母さんの姿を尊敬してみていたんですね!

シングルマザーでもしっかり子どもを見てきた残間さんすごい!

 

息子さんを産むときは極秘にしようと思っていたそうで、

周囲に人間ドックに入るからと休みをもらったのだそうです。

出産して1週間で仕事復帰ですって。

 

こういうお話を聞くと、

自分の環境がすごく恵まれていたんだなぁと思っちゃいますね。

甘えられる人がいるって幸せなんだなぁ。

 

病気がすごい!

残間さんと言えば病気というくらい

病気に縁のある方みたいですね(^^;)

 

生後間もなくから病気がちで

百日ぜきから小児ぜんそく、赤痢

9歳で小児性関節リウマチ炎

心臓弁膜症などを患っていたそうです。

中学時代は年間100日は学校を休んでしたのだとか。

 

その後も

胆のう炎や十二指腸潰瘍、

胃潰瘍、皮膚病のジベルばら色粃糠疹(ひこうしん

虫垂炎と声帯ポリープと腱鞘(けんしょう)炎

 

更年期の頃から無痛性甲状腺炎

手指の第2関節に激痛が走るブシャール結節

一時は左右10本の指関節に注射を打っていたそうですよ

 

さらに慢性気管支ぜんそく

頸(けい)動脈狭窄(きょうさく)

狭心症

半年前から右膝の半月板損傷

背骨の棘突起(きょくとっき)過敏症 など

 

分娩のときに視神経を痛めたとかで

左目もほとんどみえないんですって。

なんだか病気の総合デパートじゃないですかと思ったのですが、

ご友人からは「病気の問屋」だと言われているのだそうです(^^;)

 

ブルースウイリスの映画「アンブレイカブル」を思い出しました。

めちゃめちゃ体の丈夫な人と逆にひ弱な人がでてくるお話し。

残間さんはひ弱な人になっちゃったんですね。

 

ブログでも病気の話が多いそうですが、

文章を読んでみると、

そんなに深刻な話に感じなく

うまく病気を付き合っていっている印象をうけました。

 

読者の気持ちをしんみりさせないところなんかは

さすがプロデューサーと思いました。

 

そんな残間里江子さんは

徹子の部屋で介護をしていたお母様について話されました。

 

残間里江子さんのお母様とは

お名前は残間富枝(ざんまとみえ)さん

生年月日は1916年3月13日

うお座ですね。

 

旧国鉄の職員だった富枝さんは

同じ組合活動で同志だった里江子さんのお父様と出会い結婚されました。

 

労働組合の婦人部長だったんだそうですよ

みんなをひっぱる側の人材だったんですね。

 

赤狩りと呼ばれる共産主義者の追放によって旧国鉄を退職させられたそうで、

その後お父様が事業を始めるもうまくいかず、

貧乏だったそうです。

 

お子さんは里江子さんと弟さんの二人。

里江子さんは小さいころから病気がちだったということで、

貧乏なのに医療費なんかも工面しなきゃいけないとあって

大変ご苦労なさったでしょうね。。

 

婦人参政権を得られた時期を経験されているので、

選挙には絶対になにがあっても行きなさいと

話していたのだそうですよ。

 

 

若いころは作家を目指していたんですって。

活発なお母様に里江子さんはあこがれていたのだとか。

 

2003年(87歳くらい)ころからお鍋を焦がしてしまうことが何回もあったそうで、

電話の呼び出し音も聞こえづらくなってきたということもあって

横浜で一人暮らしをしていたそうですが、

里江子さんと同じ東京のマンションに住むことにしたそうです。

 

高齢になってからの引っ越しってかなりのストレスを与えてしまうと聞きます。

慣れない環境にパニックなって認知症になったり悪化したりすることもあるんだそうですよ。

 

家族としては目の届くところにいてほしいところですし、

難しいですね。

 

 

それでも洋服屋さんや美容院に出かけたりして

楽しんでおられた富枝さん。

 

デイサービスへも週に2回通っていました。

デイサービスでは絵画や書道をされていたんですって。

 

キローコも介護施設で働いたことがあるのですが、

ほんと絵や書が上手な方が多いように思います。

富枝さんも自宅から花を持って行って楽しそうに描いていたそうですよ。

 

そんな毎日を送っていた富枝さんですが

ある朝、デイサービスへ出かけようとしたら

体がふにゃふにゃと倒れてしまったのだそうです。

 

里江子さんはこれは脳梗塞の前兆だとすぐに気が付いたそうで

すぐ病院に行ったんですって。

脳梗塞の初期症状のひとつに

片方の手足の力が入らないというのがあるのですが、

その状態だったのでしょうか。

すぐに気づいてよかったですね!

 

自宅介護の限界?施設入居を決めた理由は?

ずっとご自宅で富枝さんの介護をしていた里江子さんですが、

脳梗塞で倒れた後遺症で全盲になってしまった富枝さん。

病院から全盲の人を素人が一人で介護するのは不可能ですと言われてしまったのだそうです。

 

そして、

素人の介護は本人がかわいそう

とお医者さんに言われたことをきっかけに施設入居を決意したのだそうです。

 

里江子さんはこの言葉に救われたんだそうです。

施設に入れることに対して罪悪感を持つ人は少なくないですね。

無理して自宅介護して虐待につながるケースはよくニュースでもみかけます。

 

お医者さんはそんな介護者の気持ちをくんでくれたのかもしれませんね。

 

母の死因は?

富枝さんは2015年12月20日に99歳で亡くなられています。

死因は老衰だそうですよ。

 

認知症にもならず(診断をうけていないだけかもしれませんが)

病気で苦しむことがなかったなんて

お体がかなり丈夫だったんですね!

 

病気がちだった里江子さんはお父さんに似たのでしょうかね。

 

99歳大往生の人生だった冨江さん。

97歳まで選挙にきちんと通ったのだそうです。

 

長い人生お疲れさまでした。

里江子さんも介護頑張りましたね。

お疲れさまでした。

 

最後までおつきあいありがとうございます。

 

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